江島杉山神社 江島杉山神社

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由緒

■由緒


杉山和一は、慶長15年(1610)に藤堂高虎が藩主である伊勢国津藩の藩士の長男として誕生し、幼少期を安濃津(現在の三重県津市)で過ごす。
幼くして失明し17、8歳頃江戸の盲人鍼医であった山瀬琢一に入門。

その後5年程修行するが、記憶力が悪く技術も向上しなかったため破門されたといわれる。

失意のどん底にあった和一は目が不自由な自分は、生きる為に何かを成就させねばと芸能の神また盲人の守護神であり、和一が信仰していた江ノ島弁財天の岩屋に籠り断食修行を行う。

満願の日、岩屋で石につまづき倒れた時自身に刺さった、枯葉にくるまった松葉から管鍼術(くだはりの術、かんしん術)の着想を得たと伝えられている。
そのつまづいた石は「福石」と呼ばれ、本社江島神社境内に祀られている。

その後京都で入江豊明に師事し、再び江戸に戻り鍼の名人として有名になる。

天和2年(1682)には世界で初めて視覚障害者のために、現在の学校にあたる鍼治講習所を設け鍼灸・あん摩療法の生業の道を開く。
その名声を聞いた5代将軍徳川綱吉が和一を「扶持検校」として召し抱え、自身の治療にあたらせた。

元禄5年(1692)には当時の視覚障害者の組合組織である「当道座」の長、総検校となってこの組織を大改革し、鍼灸・あん摩のみでなく、音曲家や金融業への道をも確かなものにする。

綱吉公は高齢の和一が、江戸から江ノ島弁財天まで月参りしているのを不憫に思い、元禄6年(1693)に当地本所一つ目に3000坪余りの土地を与え、そこに弁財天を分社して祀らせた。この神社は「一つ目弁天社」と呼ばれた。『江戸名所図会』にも掲載される程有名で、大奥の女性達も舟で御参りに来ていたという。

「本所一つ目」という地が和一に与えられた逸話として、次のような話がある。

将軍綱吉が
「何か欲しいものはないか」
と尋ねたところ、和一は

「ただひとつ、目が欲しゅうございます」

と答えたという。その要望に、綱吉公は「本所一つ目」と呼ばれていた地を宅地として与えた。

和一はその翌年元禄7年(1694)5月、病の床に着き、同年85歳で亡くなった。

墓所は墨田区立川の弥勒寺と神奈川県藤沢市の江ノ島、和歌山県の高野山金剛峰寺にある。
また、和一没後には敷地内に弟子たちが「即明庵」(そくみょうあん)を建て、和一を祀った。

明治時代に入り政府によって屋敷は没収されたが、弁財天社のみ残り「江島神社」と称した。
明治23年(1890)に杉山和一を祀る「杉山神社」が創建された。

大正12年(1923)関東大震災により社殿焼失。

翌年大正13年(1924)杉山和一検校に正五位を追贈。

大正15年(1926)「杉山神社」が再建された。

昭和20年(1945)太平洋戦争の空襲のため社殿焼失。

昭和27年(1952)「江島神社」に「杉山神社」が合祀され「江島杉山神社」となる。

平成22年(2010)には杉山和一検校生誕400年に当たり「杉山和一検校生誕四百年記念祭」を挙行した。






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